フラットな目線

起きている時間の大半をどうやって過ごしているかが、その人の思考に割と大きな影響をもたらすような気がする。例えば1つの職種で長年働いていると、その道は極めることが出来るかもしれないが、すっかりその道の人になってしまって、外野目線で見えなくなってしまう。

これは勝手な私の個人的見解だが、人も事象も多面的で、自分が見ているのはほんの一面にしか過ぎないと思う。だからいつでも別の見方が出来るように、何かになりきるのを嫌って生きてきた。人でも事象でも、本当の姿が知りたいのだ。

こっちから見たら青だけど、こっちから見たら黄色だし、反対から見ると赤にも見える…ということはこれって7色だったんだなというイメージ。

もっとわかりやすく言えば、この人きつい人だと思ってたら、案外気弱だったり、この出来事は不幸だと思っていたら、それがあったから幸運に出会ったりすると、不幸とは言えなくなる。

要は頭を柔らかく保つということなんだろう。

 

何かになりきりたくなかったのに、成り行きで 身心を整える人になってしまった。

でもいつでも自分が受ける側になりきれるように、素人感覚を忘れないようにして、

いろんな目線や感覚で施術していきたい。